源了圓『義理と人情』

新書も文庫も、単にその判型だけの意味にしかならなくなって、中身もまた以前とはまるで違う薄さになっちまった。薄いったって「束」のこっちゃない、中身内容もだ。「単行本」「単著」が新書と同義になってるところもあったりするから、もうこれは「本読む老害…

つのだじろう、と「取材」という作法

つのだが「サムライの子」を描く前年、1961年1月から7月にかけて同じ『なかよし』誌に連載し、その年の第二回講談社児童漫画賞(現在の講談社漫画賞)を受賞した「ばら色の海」は、横浜のダルマ船に住む水上生活者の子どもたちに取材した作品で、すでにこの…

サトウハチロー『僕の東京地図』

● 古書の書評、というのはあまり見たことがない。いや、その筋の趣味人好事家道楽者の界隈には紹介言及ひけらかしな蘊蓄沙汰はそりゃ古来各種取り揃えてあるものの、それらは概ね書評というのでもなくお互い手のこんだマウンティング、こじれた相互認証の手…

マチとイナカ、について

ひとりで学ぶということ。書生ということ。明治20年代になって「書生」というのが風俗としても認識されてくること。 全国から「学問」で立身を志した若者がマチに集まってきた。硬派/軟派のこと。彼らは単身者でありマチで立身出世していずれ「故郷に錦を飾…

マンガ「評論」「批評」の発生地点(2)・メモ

マンガが知的なことばにとらえられるようになり始めた頃=1960年代後半〜1970年代 その頃、マンガを「評論」「批評」の対象としてとらえるようになっていた側の世代差 マンガ体験における「世代差」を意識すること。 団塊の世代=当時の「若者」=マンガを小…

マンガ「評論」「批評」の発生地点(1)・メモ

永島の〈リアル〉、と、つげの〈リアル〉の対比 あるいは、『COM』と『ガロ』の違い。それらの異なる〈リアル〉を規定していたもの 永島=『COM』=「手塚学校の優等生」(桜井昌夫)=「青春」の通過点、的な評価に つげ=『ガロ』=「評論」「批評」を引き出…

永島慎二の〈リアル〉・メモ

「私小説」としてのマンガの読まれ方。どうしてそうなっていったのか? 当時、新たに勃興していた青年層のマンガ読者たちが求めたもの。そこに現れた「内面性」とは? 「マンガの太宰治」という評価の意味。その功罪、光と影の両面を考える。*1 永島慎二のこ…

 長谷川伸 『石瓦混淆』

いつかいつかと思いつつ、棚上げにしていた仕事がそこここに散らばったまんま、気がつけば歳を食っている。なんのことはない、もう半世紀も生きたことになっちまってる。馬齢を重ねて、というもの言いも少しは身にしみる季節。たとえば、長谷川伸がいかに民…

 吾妻光良 『ブルース飲むバカ 歌うバカ』

吾妻光良、かあ、いとなつかしや。 77年の春、早稲田は八号館前で、料理用ワインのボトルをかたわらに、生ギターでブルース弾きまくり歌いまくりで騒いでいたのを覚えている。「ロッククライミング」だっけか、理工学部にあった軽音楽サークルだったような…

「マンガ学」について・メモ

マンガについてのガクモン、ということですが、マンガ「を」ガクモンするのか、マンガ「で」ガクモンするのか、というあたりも、実は両方あります。 文化としてマンガを考える、それは広義の文化学でしょう。表象文化論とか、カルチュラル・スタディーズとか…

片岡義男『十セントの意識革命』

僕が知っている日本は、戦後からだ。しかし、社会的なつながりを多少とも持った上での体験は、高度成長の急坂の途中あたりからだ。戦前や大正、そしてそれ以前について、僕はほとんど何も知らない。 なにげに片岡義男がすごいことになってる、ってのは以前か…

谷川雁 「びろう樹の下の死時計」

はじめ私は道ばたの草むらにつないである牛の傍をすりぬけたとき、その牛がまじまじと私をみつめるのに閉口した。「内地」ならば、ふてくされて知らぬ顔の半兵衛をきめこむのを得意としているこの獣がゆっくりとみつめる大きな眼には、なにかお互いの寂寥感を…

 稲垣恭子 『女学校と女学生』

私にとって、最も身近な「女学生」は母である。吉屋信子と夏目漱石を愛読し、手紙やスピーチに独特の感情表現を込め、ミッション・スクールと修道院に憧れ、女学校時代の友人とファーストネームで呼び合う「万年女学生」の母に対して、面白さと同時に身内な…

 たま 『さんだる』

川の中をオレンジでおなかをふくらませた 女たちがぷかぷか流れてる ヘビー級のチャンピオンがそれを見つけては サンドバッグがわりに殴ってる 80年代的なるもの、というのがあるとして、それは音楽やマンガに最も濃縮されて、ということは誰の目や耳にもわ…

 西部 邁+平岡正明+栗本慎一郎 『情念と幻想――その現実論』

死者の総意に基いてプロレタリア革命を行う、これがぼくの立場。――平岡正明 桝添要一が厚生労働大臣になって、テレビその他に露出することが多い。めっきりハゲて白髪も増してオッサン面になったのを眺めながら、ふと、栗本慎一郎のことを思い出した。 大学…

 平田 寛 『失われた動力文化』

ところがここに、労働と技術を尊重してそれを実践した集団がいた。それは、仕事で手をよごすことをけがらわしいとみなしていた貴族や知識人がつくった修道院である。そこは、禁欲を守り、清貧にあまんじ、熱烈な信仰に燃えた修道士たちの自給自足の場であっ…

 平岡正明 『ボディ&ソウル』

知性はその低次の段階では二枚目としてあらわれ、やがて発展して三枚目にいたる。ついに最高の発展段階として実現するものは無手勝流であろう。 もうから平岡正明かよ、と呆れる身近な誰それの顔つきが、この上なく具体的に見える。見えるが、知ったことか。…

 柳田國男 『青年と学問』 

そうして現在この我々の目前に、政治と名づけて若干の或る個人の考えが、国民全体の共同生活の方向をきめること、またはこれをきめうる地位に立つ者を指定する選挙という仕事、あるいは経済行為と名づけてなるべく簡単な方法をもって、楽に自分自分に都合よ…