マチとイナカ、について

 ひとりで学ぶということ。書生ということ。明治20年代になって「書生」というのが風俗としても認識されてくること。

 全国から「学問」で立身を志した若者がマチに集まってきた。硬派/軟派のこと。彼らは単身者でありマチで立身出世していずれ「故郷に錦を飾る」ということをめざしていた。これは実際に故郷に戻る、戻って生活するという意味では必ずしもない。少なくとも想定はされていなかった、具体的にそこまで考えていなかったはずだ。だからこその象徴的な意味として「故郷」はあり、そこに「錦を飾る」というのは郷党の視線の前に仰ぎ見られる、ほめられる、評価されるものとしての自分の将来を想定していた、ということになる。飾ってその後どうなるのか、は具体的ではない。けれども、その程度に「故郷」というのはそこに生きる「郷党」の生身具体と共に、マチへ出てきた立身出世を志した単身者のココロを縛っていたらしい。

 具体的にはその「故郷」は決して好ましいものではなかったことは、近代文学が「家」に仮託しながらその呪縛桎梏を執拗に追い続けてきたことをあげるまでもない。けれども、ひとつ言えることは、そのように「郷党」からの視線を常に意識していた、せざるを得なかったからこそ、出郷者の単身者たちは「故郷」を客体化して「どうでもいい」位置にフラットに意味づけることができないまま、その後もずっと推移してきたということだ。それは少なくとも、1980年代いっぱい、「戦後」の終焉が実際に社会現象として現前化し始めるまでははっきりと意識されていたものだったし、そのような精神風景、ココロのありようを自明の前提として、あらゆる日本の大衆文化、常民的表現のジャンルは成り立っていたのだと言えるだろう。