マンガ

つのだじろう、と「取材」という作法

つのだが「サムライの子」を描く前年、1961年1月から7月にかけて同じ『なかよし』誌に連載し、その年の第二回講談社児童漫画賞(現在の講談社漫画賞)を受賞した「ばら色の海」は、横浜のダルマ船に住む水上生活者の子どもたちに取材した作品で、すでにこの…

マンガ「評論」「批評」の発生地点(2)・メモ

マンガが知的なことばにとらえられるようになり始めた頃=1960年代後半〜1970年代 その頃、マンガを「評論」「批評」の対象としてとらえるようになっていた側の世代差 マンガ体験における「世代差」を意識すること。 団塊の世代=当時の「若者」=マンガを小…

マンガ「評論」「批評」の発生地点(1)・メモ

永島の〈リアル〉、と、つげの〈リアル〉の対比 あるいは、『COM』と『ガロ』の違い。それらの異なる〈リアル〉を規定していたもの 永島=『COM』=「手塚学校の優等生」(桜井昌夫)=「青春」の通過点、的な評価に つげ=『ガロ』=「評論」「批評」を引き出…

永島慎二の〈リアル〉・メモ

「私小説」としてのマンガの読まれ方。どうしてそうなっていったのか? 当時、新たに勃興していた青年層のマンガ読者たちが求めたもの。そこに現れた「内面性」とは? 「マンガの太宰治」という評価の意味。その功罪、光と影の両面を考える。*1 永島慎二のこ…

「マンガ学」について・メモ

マンガについてのガクモン、ということですが、マンガ「を」ガクモンするのか、マンガ「で」ガクモンするのか、というあたりも、実は両方あります。 文化としてマンガを考える、それは広義の文化学でしょう。表象文化論とか、カルチュラル・スタディーズとか…